手遊び(てすさび)

 手遊び(てすさび)口寂しさを飴で紛らわせるように、手持ち無沙汰を手遊びで満たすことがあります。


お茶の師匠の折り鶴

報道番組を聞きながら私が作る栞

母が大量に作っていた包装紙のポチ袋

楊枝入れ

行くことのなかった展覧会・音楽会のチラシでつくるテーブルボックス

 上手とか下手とかでなく、つくっている。ひたすら時間を埋めるようにつくり続ける。
こうしたクラフトには、特に目的があるわけではないように思えます。 ちょっとしたプレセントにとちょうどよいと思われるものもあれば、 これ?どうするつもりだったのだろうと思うものもあります。

何かを完成させることが目的なのではない手遊び、手を動かしていること自体が快い
ということは、ありませんか

例えば 学生が講義を聴きながらくるくる鉛筆を回したり、貧乏ゆすりのような動き、
指をならしたり、指先をこすり合わせたり、意味があると思えない体の動き・・・。
こうした、意味のないように見える小さな身体の動きは、英語で fidget と呼ばれます。
作業科学や心理学、神経科学、発達心理学、人間工学などの分野では、手足の小さな動きと、注意や覚醒、気分との関係が研究されています。
 手を動かすことは、単に何かを作るためだけではないのかもしれません。身体を動かすことで、注意や覚醒の状態を調整し、自分にとって過ごしやすい状態を保とうとする働きも考えられます。
 
 私は、高齢者の手すさびを見ながら、こんなふうに考えることがあります。
認知機能が保たれているから、手遊びができる。そういう見方だけでよいのだろうか。
もしかすると、手遊びを続けることが、注意や身体感覚を微調整し、認知活動を支える一助になっているのかもしれません。もちろん、すべての手遊びが認知機能を維持・改善するというわけではありません。それでも、何かを完成させることや、上手につくることだけを評価するのではなく、手を動かしている時間そのものにも目を向けたいと思います。
 高齢者が手を動かし続けているとき、そこには、私たちがまだ十分に言葉にできていない身体や脳の働きがあるのかもしれません。
あなたにも、目的はなくても、つい手が動く時間はありませんか。

コメント

  1. キャー!どうしよう?不器用極まりない私は、手遊びができません。してません。マウスをclickするくらいです。最近は、缶ジュースを開けるにも苦労するほど手が指が動かなくなっており、夜は手のマッサージをする時があります。認知機能は保たれていません。目的無く手が動く時間を想像できません。自覚していないだけだろうか?鼻ほじったり、顔を搔いたりはしてるけれど…。
    ポチ袋イイですね。便利かも。真似られるか?

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