親心子知らず ― 父の名は、「大六」
小石川、富士前神社を歩いていると、父の言葉を思い出します。「おれの名前は、大正六年生まれだから大六なんだ。」
子供のころ、父はよくそう言っていました。
ふとそんなことが思い出される今日この頃です。
![]() |
| 本駒込駅近 駒込土物店跡 |
父は小石川の生まれでした。当時、六義園の周辺は駕籠町と呼ばれており、江戸時代の威勢のよい町人文化の名残りがあったといいます。近くを通る本郷通りは、江戸時代の日光御成街道の一部、神田橋から飛鳥山までをさします。江戸時代から市のたつ往来の多いところでした。
「大きくなったら魚屋のお兄ちゃんみたいになりたいと思っていた。」これは父六十歳のころに書いた、三日坊主で終わった回顧録の最初の一節です。
父が残したピンぼけの写真を頼りに、私はその界隈を歩いてみました。本郷通りに旧
駕籠町と本郷通りを挟んで、富士前神社があります。
少年大六の縄張りだった場所です。
これは、わんぱく盛りの子供には格好の遊び場だったに違いない。そう思いました。
何度か訪ねているうちに、ふと気づきます。
もしかすると、この岩には何か霊験があるのではないか。名前も「富士前」だし。
富士山を信仰する富士講の拠点だった場所です。
江戸のころ、この祭りの日には火消し四十八組が集まり、
境内で纏を掲げたといいます。
江戸の粋と元気が、この岩に刻まれているようでした。
名前の「大六」も気になり、少し調べてみました。
すると「大六車」という言葉が出てきます。
大八車は知っていますが、大六車という二輪の手押し車もあったそうです。
しかし、父の名前の由来としては、どうもこちらではなさそうです。
さらに調べると、「大六」は仏教の第六天魔王に由来するという説にも行き当たりました。この魔王を祀る祠があった名残で、「大六」という地名が残ったというのです。実際、Google Mapには富士前神社の近くに「大六」と呼ばれた場所がありました。
当時は「大」や「六」という字を名前に使うのも流行したらしく、
父の名前も、強くたくましく育ってほしいという親の願いが込められていたのでしょう。
冨士塚には登山道があり、山頂には祠もあります。
江戸のころにはこのあたりは武蔵野台地の縁で、鷹匠の住まいがありました。
いまの駒込病院にあたります。
富士塚を中心に、江戸の町人たちが集まり、賑わいを作っていました。駒込茄子もこのあたりの名産でした。
「一富士二鷹三茄子」という言葉も、
このあたりの景色を思わせなくもありません。
魚屋になる夢を抱きながら駕籠町小学校を卒業しました。
夏のある日、冨士塚を眺めながら涼んでいると、
「大ちゃん、大ちゃん」と子供たちのはしゃぐ声が、
どこからか聞こえてくるような気がしました。
さて下の写真は、父の墓の後ろ姿です。緑がかった自然石です。
あっ、と私は思いました。どこかで見たことがある。
そう、冨士塚に奉納された石の姿です。
この墓は父、大六が建てたものです。
もしもっと早く、この関係に気づいていたなら、
その真意も聞くことができたかもしれません。
いつまでも、親心子知らずです。


コメント
コメントを投稿