「マイケル」と家族

コラージュ:ポップ・スター by M.K 2026

※「マイケル」は、キング オブ ポップと言われたマイケル・ジャクソンのことです。

映画「Michael」の「家族」が気になった

映画「マイケル」を見てから、マイケル・ジャクソンと家族の関係が気になるようになりました。

映画の中では、才能豊かなマイケルが家族から少しずつ独立していく姿を中心に、ステージパパの父親、やさしく見守る母親、そして音楽を中心にマイケルを引き立てながら、ステージを楽しむ兄弟たちが描かれていました。

映画だけではありません。

YouTubeでも、その延長線上にあるような映像をいくつか見ました。葬儀の場面で肩を寄せ合う家族。高齢になった母親。マイケルがいとこたちと音楽を通して交流するプライベートフィルム。そして、スキャンダルの渦中にいるマイケル。

断片的な映像を眺めているうちに、私は、ひとりのスターの物語というより、ひとつの家族がアメリカ社会の中で生き、挑戦してきた歴史を見ているような気持ちになりました。

もちろん、映画や映像だけから一つの家族や文化全体を語ることはできません。

それでも、そこには私がこれまであまり考えたことのなかった「家族の絆」の姿がありました。

家族の絆とは?――誰が、何を、どう支えるのか

映画の中で紹介されたジャクソン・ファミリーの家族観には、

「労働を厭わない」
「正しいことをする」
「稼いだものは家族に分配する」

という父の教えがありました。

父親の言う通り、マイケルはよく働き、歌を通して「正しいこと」を伝えようとしました。そして、自分が得たものを、次の世代へつないでいこうとしました。

ここで私が興味を持ったのは、家族に何を残すのかということです。

お金や土地だけが、家族に分配できる財産ではありません。

音楽に触れる環境、人とのつながり、仕事をする姿勢、何かを生み出す喜び――。

そうした目に見えないものも、家族から受け取り、また次の世代へ渡していくことができます。

そう考えると、家族の絆とは、同じ家に住み続けることや、財産を共有することだけではないのかもしれません。

互いの人生を支えるために、何を手渡していくのか。

そこに家族の絆のひとつの形があるように思います。

日本には、長い間「家」という単位が家族を守る基盤にしてきた歴史があります。

家を継ぐ。家名を守る。親の役割、子の役割を果たす。

そうした「家」を中心とした家族のあり方と、人と人とのつながりを中心に考える家族のあり方には、少し違うところがあるのではないでしょうか。

家を残すことと、関係を残すこと。

似ているようで、違います。

「役割」が揺らぐ時代に、家族の絆も揺れやすい

高齢になるにつれて、女性は家庭の中で担ってきた役割を失い、男性は社会の中で担ってきた役割を見いだしにくくなる。

現在の高齢化社会について、そんなことが言われます。

加齢にともなって、これまでできていたことができなくなる寂しさは、もちろんあります。

けれども、年を取ったからこそ、若い頃にはできなかったことができるようになることもあります。

私は、こちらにも目を向けたいと思っています。

災害に揺れ、少子高齢化に揺れる日本では、親、夫婦、そして「家」といった枠組みが、以前と同じ形では機能しにくくなっています。

それぞれの役割が揺らぐと、関係も揺らぎます。

関係が揺らぐと、互助――つまり支え合い――も途切れやすくなります。

だからこそ私は、自分のためにも、

「これから、私たちはどんな家族でありたいのか」

を考えてみたいと思いました。

少子高齢化が家族にもたらすもの

私にとって、少子高齢化はまず、かなり現実的な問題です。

「日常の生活が、どうすれば回るのか」という話です。

条件が整えば、家事援助を公的に受けられる制度もある。

電話一本で買い物を届けてもらうこともできる。

お中元やお歳暮、年賀状などの季節の挨拶も、昔ほど律儀ではありません。

自分で回さなければならない日常生活は、子育てをしていた頃や親の世代に比べれば、ずっとシンプルになっています。

それでも、

物価が高い。
お金がない。
自分のやりたい仕事がない。

……と、周りは不満たらたら。

「そんな日本に、誰がした!」

――自分です。

子どもの数は減り、高齢者は増え、働き手も減っています。

数字だけを見れば、あちこち下降線です。

でも、ここで「昔に戻ろう」と考えるだけでは、解決しないのではないでしょうか。

むしろ、人が減り、家族の形が変わった今だからこそ、生活そのものを組み替える必要がある。

私は、そう考えています。

作業療法の視点――「誰が担うか」を組み替える

生活の再設計を生業にする作業療法の視点から見ると、生活は、

「誰ができるか/できないか」

だけで成り立っているわけではありません。

大切なのは、

「誰が担うのか」
「どこまで担うのか」
「何を人に任せるのか」

という役割の調整です。だれでも「役割」から自由になることはないと思いますが、「役割」を柔軟にとらえることも年寄りならではのスキルと思います。

「役割」は、生活の再設計をする上では、「壁」になることが多いです。

家族の絆も、同じなのではないでしょうか。

絆を「気持ち」や「役割」だけで守ろうとすると、役割が偏り、誰かの負担感が大きくなります。

「お母さんだから」
「お父さんだから」
「長男だから」
「妻だから」

という「役割」を守ることが、いつの間にか本人を苦しめていることに気づけないこともあります。

「役割」そのものを組み替えるには、

過去の役割から、いったん足を洗う。「病気」「怪我」「喪失」は、本人が望んでいなくても役割を見直すきっかけになります。

そして、役割を外した「素の自分」に戻って、

自分は何がしたかったのか。
これから、どんな自分でいたいのか。

それを家族で共有する。

父親も母親も、ただの一人の人間。

長男も次男も、ただの一人の人間。

妻も夫も、それぞれ一人の人間です。

そこから、新しい関係をつくり直すことができるのではないでしょうか。

再設計される絆

今回は、マイケル・ジャクソンの映画をきっかけに、少し遠くまで旅をしました。

映画から家族へ。

家族から日本の少子高齢化へ。

そして、作業療法へ。

私がマイケル・ジャクソンの家族から感じたのは、

「家族のそれぞれが自立しながら、互いの自己実現を支え合う」

という関係の可能性でした。

家族だから同じ生き方をするのではない。

家族だから、相手の生き方を支える。

そんな家族のあり方もあるのではないでしょうか。

作業療法的に考える――「作業剥奪(さぎょうはくだつ)」を予防する

作業療法では、本人が意味を感じていた活動や「役割」を失うことを、「作業剥奪」という言葉で表現することがあります。

たとえば、高齢になったから、

「危ないから、掃除はしなくていい」
「危ないから、料理はしなくていい」
「もう何もしなくていい」

と、本人が担っていた役割を周囲がすべて引き受けてしまう。

安全のための支援であっても、本人にとっては「自分の役割を奪われた」と感じることがあります。

だからこそ、役割をただ取り上げるのではなく、別の役割へ自然にシフトしていくことが大切なのだと思います。

料理が難しくなったら、献立を考えたり、配膳、下膳や下ごしらえに回る

掃除が難しくなったら、掃除する範囲をせまくしたり、掃除道具をかえたりする。

仕事を辞めたら、これまでできなかったことをはじめ、これまでの仕事を振り返ってみる。

「できなくなったこと」の穴を埋めるだけではなく、

「これから何をしたいか」

を探していく。

それが、生活の再設計なのだと思います。

私のように昭和20年代生まれの団塊の尻尾世代と、昭和後期から平成にかけて社会に出た世代の家族にとっては、大正・昭和の世代から受け継いだ家族のやり方を、そのまま次の世代に渡すことが難しくなっています。

高齢者が家事や社会の中で担ってきた役割を失いやすくなったとき、社会制度のケアを利用しながら

「家族だから支える」のではなく、
「それぞれが自分らしく生きるために支え合う」。

そんな新しい絆の形が、これからの家族にとって、一つの選択肢になるのではないでしょうか。

家を守るための家族から、

人が生きることを支える家族へ。

作業療法の視点で、生活を再設計してみましょう。高齢になってからの生活は、質を変えてゆき、形に残らなくてもじんわり子供たちに受け継がれていくものを楽しみ寿命をまっとうしましょう。

                                 編集協力: AI


コメント

  1. 「マイケル」を見て、家族の絆を思い、作業療法的視点を述べるユニークさがステキです。
    私は音楽とダンスばかりに目と耳が行き、むしろ父親からの独立を目指したマイケルに関心を持ちました。自分の才能は自分で表出していくという才能が溢れ出る感じがスゴかった。敵対し合うグループの中に入り、音楽とダンスで融合させてしまう、スッゲェ‼‼君だからできたことなんだと。
    ジャクソン5の頃は知っていても、断片の断片やスキャンダル的な事しか知らなかったので、かくも魅力的な男だったのかと思いました。続編があるそうですが、今月末には、実際の映像のみで構成したドキュメンタリー作品が封切られるそうで、それを観るのが、今から楽しみです。

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