藤原定家の熊野御幸日記にみる身体性
三井記念美術館の藤原定家熊野御幸日記の現物を鑑賞したこともあって定家実像への興味は、いっそう強まった。天皇の御幸に付き添った定家の日記であるが、冒頭から末尾まで訪れた土地の名称がひたすらつづられているだけである。感傷も情緒もあったものではない。巻物にひたすら京都から熊野までの道がつづられている。その墨の濃淡が息苦しいほどのリズムを生み出していて面白い。いや、定家にしてみればそれどころではなかったのだろう。もう二度といくもんかの心境だったのではないかとすら思えてくる。身体を引きずるように進む御幸、その「移動そのもの」が記録されている。
現実主義者、ジャーナリスト、ノンフィクション作家だった藤原定家
「明月記」もしかり、感情でなく日々の出来事を淡々と書きとどめる。その積み重ねから浮かび上がるのは、定家の身体性だ。出来事を連ねることで、書き手は衣を脱ぎ、読み手はその背景を知る。堀田善衛の行った明月記の同時代資料の照合作業は、その背景をこれまたリアルに示してくれた。出来事の意味は、そこで初めて立ち上がる。ノンフィクションとはこうあるべきかもしれない。19歳から78歳まで現存する「明月記」を描き続けた定家は、現実主義者でありノンフィクション作家であり、ジャーナリズムの先駆けといえるのではあるまいか。
堀田善衛「明月記私抄」続編を読む
本書では、定家47歳以降公卿補任から 定家出家、日記が現存する74歳までを取り上げている。実朝との交流、鎌倉幕府と朝廷の関係、承久の乱、平安社会の混乱と衰退。後鳥羽上皇と和歌、漢文、「ひらがな」をめぐるせめぎあい。 物語半ばで、堀田善衛は定家を「きわめて現実主義者でありジャーナリストとしての書き手」として特色づけているのが実に腑に落ちる。著者は、「明月記」の中から社会事件を取り上げ、定家の公卿への昇格に苦慮し俊成以来の和歌の家系を最大限に利用して朝廷の凋落を生き抜く姿。どこまでも詳細な有識故実の描写。漢文だからこそあらわになる定家の心情、連歌の大きな潮流にあらがう和歌の文化と公卿社会の退廃期にあって編む和歌集の選者としての矜持。後鳥羽上皇の才能を認めざるを得ないがゆえの定家の意地。 読みどころは尽きない。
♪日に日に世の中が悪くなる? 気のせいかそうじゃない・・・今夜も散歩しましょうか♪
宮廷文化の極楽とんぼの代名詞の印象しかなった定家が非常に身近に思えた著作であり、堀田善衛(1918~1998)の見識に改めて大正生まれの作家の神髄をみたように思えてうれしい。父と同世代だ。近頃出会う本の多くが戦争や社会の混乱期をテーマにしているせいか戦争体験を青年期にしている作家の著作を読む機会が多い。堀田善衛を通した定家の「明月記」のリアルさとは、足元が崩れている感覚を抱えながらも日々を書きとどめ、生を全うする姿なのだと思う。

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